9月5日 第11回 フェアトレード名古屋ネットワーク(FTNN)定例会 33名参加

8月30日発売! フェアトレードがわかる冊子

「地域と世界を、 そして今と未来をつなぐ、 地球とのフェアトレード」

フェアトレード・ショップ風”sでも取扱中! 1冊100円 20冊以上60円

フェアトレード・ショップ風”sでも取扱中!
1冊100円 20冊以上60円



第11回フェアトレード名古屋ネットワークFTNN定例会 33名参加

052第11回FTNN33名



議題

1. 第7回 Go Fair Trade 024第7回GO FT平川すみこさん

    話し手:平川すみ子さん 岐阜市立女子短期大学 準教授

  「フェアトレードとの出会いbefore、after」についてのお話。

平川すみ子さんは、ファッション業界に長年みえて(社長でもありました)フェアトレードに出会い、若い人達と学びの場でフェアトレードを伝えたいと、現在は岐阜市立女子短期大学の先生です。

5月のフェアトレード月間には企画もされ、行動的な平川さんの生き方に、先回の定例会の自己紹介の折に伺いびっくりしました。是非フェアトレードに出会った事で変化した生き方を伺いました。報告は後日。とても興味深いお話でした。

・フェアトレード冊子「地域と世界、そして今と未来をつなぐ、地球とのフェアトレード」ついに 完成!

・ FTNNニュースレター 惣 第4号について

・9・10・11月のイベントのお知らせ

        ESDユネスコ世界会議は11月10(月)~12(水)

・名古屋のフェアトレード・タウンへの進捗状況

・FTTJ(フェアトレード・タウン・ジャパン)→FTFJ(フェアトレード

       フォーラムジャパン)

・参加者交流コーナー ・皆様からのお知らせ

★懇親会は20時半より1階クロスロードにて

<FTNNのネットワークの魅力的は….>

・月1回、会員向け企画などのお知らせをします。バザー出店情報もあり!

・毎回楽しみな「GO! フェアトレード」では会員の活動を知る、また発信す

  るコーナー


次回第12回定例会は、

11月1日(土)10時15分~12時

場所:愛知県国際交流協会(中区三の丸) です。

★総会は2015年1月16日(金)夜 JICA中部の予定

:::::::::::::::::::::::::平川すみ子さんのお話の内容:::::::::::::::::::::::::::::

まず、私はファッションビジネスの業界に35年勤めてきました。(実はそのさらに前には本が一冊くらい書けるのですが、<今日は時間15分のため>その部分はカフェで聞いていただければ、波乱万丈の人生が語れると思います。)

日本のファッションは第二次世界大戦後からスタートすると言っても過言ではありません。鹿鳴館などの時代から洋装は入ってきていましたが、いわゆる既製服の概念が入ってくるのが戦後です。第二次世界大戦後、日本は広島・長崎はもちろんのこと、東京や名古屋も焼け野原になったわけです。要するに家が焼けちゃってる状態。当然のことながら、家がないということは着るものもないということなんです。究極のもの不足、お金も当然ないという時に、非常に安い、もうペラペラでも何でもいいから裸で歩くわけにはいかないから着るものが必要という時代から、低価格・大量生産によるマスマーケットがスタートします。

人間の欲望というのは一個が満たされると次を求めるもので、1956年当時の首相は「もはや、戦後ではない」とのたまったのですが、その次の60年代になり、やっとファッションが導入されてきます。ファッションとはただ着るだけでなく、そこに「何らかの付加価値があるもの」ということで、ここでは、電子メーカーやアパレルメーカーによる「品質保証」というのが付いてきます。昔、ウールマーク<というと>「これはウールマークだからすごいのよ!」という時代があったのです。あるいは日本の合成メーカーの東レさんやテージンさんがやるのは「ポリエステル」です。「これ人絹じゃないの!ポリエステルでモノがいいの!」という差別化の時代がここに始まっていくわけです。今ではそれは普通です。東京オリンピックによってインフラが整備されていく。(この前、北京でオリンピックがあったのですが中国もあれによってインフラが整備されるだろうといわれています。)東名高速道路、東京都心高速、それから新幹線など、これにより日本でも出来上がっていきます。

そして70年代になると、ファッションの成長期になります。これまで百貨店というのは基本的に「平場(ひらば)<業界用語>」、つまり今の量販店のように、メーカーごとに売り場が分かれているのではなく、ブラウスだったらブラウス売り場にどーっとある状態でした。それが「箱」という、いわゆる今のブランド型の仕切りになっていきます。と同時に、ファッションビルが誕生してくる(日本で最初に誕生したのはパルコ)1969年と73年に池袋と渋谷ができて、ファッションビルが出来てきます。

それまではどうだったかというと、例えば名古屋でいうと、松坂屋と昔のオリエンタル中村(現:三越)と丸栄という三つの百貨店しかなかった時代でした。(年がバレますね!笑)そういう時代にファッションビルができることで、ブランドがたくさん必要になってきます。それまではブラウス売り場にどーっとあるだけでよかった時代がいろんなお店ができてくる、ここで多ブランド化が始まります。ここから日本のファッションビジネスはイケイケどんどんの時代が始まっていきます。

 

実はこの時期に、私はアパレルデザイナーとしてスタートしています。なので、日本のファッションビジネスが今のように「モノが売れないね」というしょぼい話をするのではなく、「ほっといてもどかどか売れるね」という時代にデザイナーをやり始めました。

今でこそ、大量生産大量消費は「悪」だと学校で教えていますが、当時の私は大量生産大量消費を推し進めている側にいたわけです。

 

80年代、成熟期になり、デザイナーズ・ブランドというのが生まれてきます。ファッションはモノではなく、事柄を売っていく(どんなかっこいいお店でかっこいい人が着ていてコレクションもしているという話題性を付加価値として売っていく)そして世は、高感度市場へ。速ければどんどん服の値段は上がっていきます。そしてコム・デ・ギャルソンがパリコレに進出してサンエー・インターナショナルが日本で始めてのキャラクターブランドと言われているピンキー&ダイアンを導入していきます。

その後<90年代>に、突然、価格破壊の時代がくるわけです。土地神話が崩壊して、絶対に下がらないといわれていたのが下がった。今までは高いことは感度がいいからおしゃれなんだといわれていたのが、高いのはよくない、高いのしか着れないという人間はセンスがない、安い服をいかにおしゃれに着るかが重要なのだという価格破壊と多様化が始まってきます。

ここに現在、ユニクロを始めとするSPAという、製造して販売、直接小売までやってしまおうという業態と、多様化の時代では、セレクトショップでブランドミックスコーディネートの技を売っていこうという、二つの業態が脚光を浴びるようになっていきます。

そしてUnited Arrows、GAPがSPAをスタートしていくわけです。

そして2001年以降、ファッションは二極化をしていきます。ラグジュアリーブランドとバリューSPA(SPAがさらに安くなった)が世界戦力を競い合う。一方で非常に高級感のあるもの、一方で非常に安いものがある。同様に人々も一方で非常にたくさんのお金を持っている人と、一方で貧困層というのがうまれてきます。

実はこの辺の時代は、日本は幸せな時代でした。一億総中流と言って、まあ上流もないけど下流もないよという時代だったのです。それがこの時代を経て、今、上流と下流に分かれているという時代です。

 

実はこの時代の中で、高感度市場がピークを迎えた時に私は独立します。超大手メーカーのアパレルデザイナーをやっていたのですが、まだ雇用均等法というのができておりませんので、どれだけ成果を上げたとしても、それは男性であるマーチャンダイザー(MD)ががばっと持っていってしまう。彼に「とりあえず君(チーフデザイナー)は色とカタチを決めていればいいんだよ!戦略をやるのはMDがやるんだよ!」と言われ、頭にきちゃいまして、「でも私のアイデアでやったんじゃないの!!」という感じで、

しょうがない、ここで独立して企画会社の経営を始めます。

 

ちょうどその時に、どちらかというとデザイナーズブランドからSPAとセレクトショップに移行していったので、小売に直接、今でいうところの「OEM」「ODM」という形が非常にとりやすい時代になったので、私はそのための企画会社というのをつくって、時流に乗っていくわけです。

時流に乗ってどんどんいくわけですが、やっぱりいいことばかりではありません。

これ<ラグジュアリーブランド>が始まってしまうわけです。一方で、じゃあこのラグジュアリーブランドをやっていたらいいんだろうと思っていたのですが、

実は、UAさんもうちの取引先だったのですが、U Aさんに「安くするために中国生産やれ!」と言われたときに私は、はたと考え込みました。「おい、そんなことを言っていいのか、差別化というのをどういう風に考えているのだろう!」と思って。ここで「すべての価値が価格で決まる時代はこの先も続いていくのだろうか」ということに疑問を持ちました。そして、「そうでない価値というのをつくらないとまずいんじゃないか」<と考えました。>

 

ちょうどその時に、うちの会社で求人をやった時に、当時どうしたらあのアパレルはこんなに儲かるんだろう?!という二桁の経常利益を上げる会社がありました(今でもそうなんですが)そこのチーフデザイナーが、うちに来たいというので採用に応募してきたのです。

「あなた今のところにいれば世界的に有名なアパレルでチーフデザイナーやっていられるのに、(一応まあそこそこの取引先をもってはいるけれど)客の言うがままに作らなきゃいけないようなうちのような会社に来て、楽しいわけ??」と聞いたときに、

「実は私、毎日会社でダンボール敷いて寝てるんです」と言ったのです。

「27歳になるんですけど、私最年長で、もうこれ以上あの生活はできません」と言って

「どうしてそうなるの?」と聞いたら

「日曜日に売れ筋が全国から集まってくる、本社の会議が月曜日の朝から始まる、営業会議によって他社の売れ筋のこれをうちもやらなきゃいけないというのが決まる。そうすると、月曜の午後、私がデザイン出しと色出しをする。それを月曜の夕方にパターンナーに指示する。するとパターンナーが朝までかかって徹夜でパターンを引く。火曜日の朝にインターネットのメール添付で、パターンが工場にいく。月曜日の11時<23時>頃に生地屋に発注がいって 最終の運送会社に乗って、火曜日の朝には東北かどこかの工場に届く、パターンと生地が届く。そこから生産して、検品して、何もかもやって、金曜日には全国津々浦々のショップに入る。そして土日に売る。先週うちに無くてよそが売れて利益を上げたものは、こうやって一週間でうちも稼ぐ。というのを365日続けることになります。これはもう耐えられません」と言われたときに、

そもそも、そうまでしないとファッションが成立しないのはどこかおかしいんじゃないか?!と思うように至ったのです。

 

が、残念ながら、実は私は大学を出ておりません。高校を出て、いろいろ紆余曲折があったのですが、ファッション専門学校を出ておりまして、それに対してどういう戦略を組んでいいのか、自分で答えが見出せなかった。

しょうがない、大学に行くしかないな!と思ったのだけど、ちょうど大学院というのが(私池袋に住んでいたものですから)立教が近い!仕事をやりながら夜間通うのに非常に便利でした。そこで「21世紀社会デザイン研究科」というとんでもない研究がおこっているんですね。21世紀の社会はこうあるべきだ!というモデルを考える。NPOのためのビジネススクールと言われています。NPOがいったいどういう役割を果たせるのかということをやるのだけれど、ここに行ってファッションビジネスにおける、新しいビジネスモデルのあり方を研究しよう、と思うに至って。会社をとりあえず(池袋なので会社を終わってからいくというので)ほとんど開店休業にしつつ学校に通い始めました。これがまず第一弾です。

 

当時のラグジュアリーのゾーンというのは、これは青山の写真なのですが、コム・デ・ギャルソンがあり、プラダが<入る建物>、これは北京の鳥の巣というメインスタジアムをオリンピックでつくった人がデザインした建物です(世界でそんなにたくさんはないですが)こういうものが、どーんと日本にはある。一方で、天下の銀座では Forever21だのH&Mだのという、いわゆるバリューSPAという非常に安いSPA商品を売る店が同時に存在するという時代だったわけです。

 

そして何よりも衝撃的だったのが、これです。2006年の日経ニュースですが、GUが発売になるわけです。GUはユニクロの妹分です。実はこのコーディネート<新聞にある写真を示して>GUのが7,650円。ユニクロ、今まで安いな、うちでやるのは無理だなと思ってきたのが15,960円。なので、その半額でGUをつくるというのをやったんです。日経が分析して、こういうふうに<グラフ>材料費はやっぱり半分くらいはかかるので、何を削るのか、といったときに「人件費を削る」とこうなっているのです。まあ確かに削るとこはないわね、洋服なんだからきれ<布>がないわけにはいかないし、というのがあるので、人件費を削る。

 

それでまあ大学に入って・・・・

<マズローの欲求説について>人間の欲望というのは、最初の戦後のものがない時代には生理的欲求なのだけど、それがよければ今度はいいものが欲しい、さらにそれが集まったら今度は人に認められるものが欲しい、あとは優越感があるものが欲しいとなって、最後は自分にとって特別なものにたどり着いて、ここまでは欠乏の欲求にされされるのだけれど、ここからは、ある存在を求める、というのがマズローの理論だったんです。

でも理論通りにはいかない。人間はいつまで経ったって、この欠乏の欲求のところでウロウロしているわけです。これをどうするのかという問題です。

 

そのときに出会ったのが『あなたのTシャツはどこから来たのか』という本です。

これは、あるアメリカの経済学の教授がマイアミで2枚で10ドルで売っているTシャツに出会います。いったいどうしたら2枚で10ドルでTシャツができるのだろうと、ふと疑問に思い始めるのです。これを徹底的に追跡していきます。

すると、仕入れ価格は1枚45ドル、ということは仕入れる前はたった5ドルしか金払ってないのか、という話なのです。どこで紡績したかというと、中国の上海。編み立てしたのが中国内陸部。本によると「従順で安価な労働力があるところ」と言われています。

なんと原料はアメリカなのです。アメリカの人件費のもとで作りながら、わずか5ドルでここまでできてしまう。これは綿のメーカーに対してはアメリカ政府の補助金が入っているのですが、これはあり得ないだろうという話を書いています。

これを「底辺に向かう長い競争」と言うのですが、この実態はここなんです、中国内陸部といわれたのが<そうです>。バングラデシュを100とした場合305、労務費として0.55ドル/時間と出ています。大体中国の沿岸部の491が日本の半額と言われているので、バングラデシュでやると、10分の1で済んでしまうというくらい人件費が安いところが実際にあったわけです。GUはまさにバングラデシュ製ですのでそれが可能になる。

では、バングラデシュの実態とは何か。

これはこちらでも映画をやったと思いますが、私は日本で始めて監督が来てやった時に国連のビルの中で見たのですが、バングラデシュで働く女工たち、<つまり>農村から出てきた10代の女性達が月13ドルで働くのです。熟練で30ドルになると大体食べていけれるのだけど、1日16時間労働でスラムで食費を切り詰めて、栄養失調、貧血、結核、そして長時間ミシンに向かうために脱水症状になるのです。最終的には30代半ばに健康を害して離職し、また農村に戻るけれど、要するに穀潰しといわれて出てきたのにまた戻るから貧困から抜けられない、という映画を見るわけです。

 

これ<写真>は皆さん記憶に新しいと思います、2013年のバングラデシュの縫製工場の入ったビルの崩壊事故です。3000人の従業員がいて1000人以上が死んだ、そしてそこで服をつくっていたのは、英国Primark、<テイン?マンゴー?>、アメリカWalmartという、いわゆる安売りをやっているところです。ユはこの中にかろうじて出なかったのですが、どうやってやったのかな と・・・

 

もう一つは、(ここから<大いに生きる?>話なのですけれども)Peple Tree(PT)さんがフェアトレード(FT)を出して、これは<「ボウグ」Vogue?>という本来ならばラグジュアリーな本なのですが、そこに発表されています。サフィア・ミニーさんがやっていったというのを実際にインタビューしていって、大学時代に調べて<いきました>。

これは自由が丘の本店です<写真>そしてその中で、渋谷で学生がファッションショーをやっていた。これが私の将来を決める一つのターニングポイントになっているわけです。

そしてそのFTの仕組みというのが途上国の生産物を売って売り上げの中から10%を技術支援として戻すという形で支援していくという。

 

もう一つの問題というのが・・・・

もう一つの大きな問題が、私の指導教授のもう一人が環境専門の人だったので、『沈黙の春』という本を絶対に読めと言われまして、この本を読みました。これは要するに、この地球っていうのは環境がつくり上げてきたもので、多くは環境が生命を決めてきた(ダーウィンの理論によってもそうですよね)。なのに、20世紀になったら恐るべきことに、人間が環境を変えようとしている。

この本<の著者>は実は、レイチェル・カーソンという女性の生物学者です。この人の書いた本を当時のアメリカの大統領、ケネディなんですが、<妻の>ジャクリーヌに手紙を書きます。それでジャクリーヌにぜひ政府で取り上げてほしいと言った。ジャクリーヌは元ジャーナリストですから、それを読んで亭主である大統領に「こんな問題があるから何とかしなきゃだめよ」といって、大統領が議会でこの問題を取り上げていくという契機になったわけです(環境問題は女性がやってきたと言われている所以なのですが)。

この本は実はシュヴァイツァーに捧げられています。「未来を見る目を失い、現実に先んずる術を忘れた人間の行き着く先は自然の破壊だ」というあの「密林の聖者」と呼ばれているシュヴァイツァーが、この人に捧げられた本でもあるわけです。

 

これを読んで、<私は>環境と農薬の問題にすごく興味を持つようになります。ちょうど大学にアヴァンティというオーガニックコットン(OC)で有名な人が来て講演をしました。(何と言ったって社会デザインをやるところなので来る講師がパタゴニアとかそういうとこの講師が山程来るという所で結構面白かったんですけれど)そして2枚写真を見せるんですね、こちらがある年の10月26日のアメリカのOC畑です。緑の青々とした葉っぱが茂って、綿の花が開いている。そして、もう一つこちらが恐ろしいことに、収穫前の枯葉剤を使用したコットン畑、同じ日です。同じ日で、(アメリカって広いんだなと思ったのですが)こっち側はだーっとこういう風に枯れていく、<そして>こっち側は青々としている。なぜかというと、アメリカのような国でコットンを安く収穫するには機械化するしかないんですね、人件費が高いから。これを、桑の超大型みたいなこう何メートルもあるようなのでだーっとやって綿だけを掬いあげていく手法で綿を収穫しているわけです。そのためには、ここに葉っぱがあると、いわゆる、濡れ落ち葉のようで、邪魔なわけです。仕分けるのにまた人件費がかかるわけです。なので、なるべくこの綿だけが取れる状態が望ましい。なので、人間が食べるわけじゃないし、ということで枯葉剤をせーのって(当然のことなので、これ飛行機か何かで撒くのでしょうけど)そうやって撒いて枯らしてしまって、綿だけにして収穫するという手法がとられます。でなければ、非常に安くはできないわけですね。

 

1990年代、これはほとんどのオーガニックをやる人の枕詞だったのですが、「綿花栽培は、世界の2.5%なのに 農薬は10%、殺虫剤は25%」、<と言われていました。>最近これは修正されました。若干はよくなったのですが「農薬が8%、殺虫剤は15.7%」ということです。これ実はなぜ減ったというのが後ほど出てくるのですが、

これは遺伝子を組み換えた種子を使うことによって農薬を減らしたのです。が、それでもまだ食料品に比べれば、はるかに多くの農薬が使われています。当然のことながら、この農薬を垂れ流しにするわけにはいかないので、アメリカ中にはこの水が流れてくるところを大きな池を作って、そこに貯めています。でも私は、ハリケーン、竜巻が来たらどうするのだろうとビビッてはいるのですが近づいてはいけないという点があるそうです。

 

もう一つがアラル海。これはグリーンTVというところで「アラル海」とすると出てくるのですが<写真>20世紀最大の環境破壊といわれています。この黒線のところが1850年の湖岸、世界4位の湖だったのです。塩湖です。塩分があります。塩湖だったのですが、このウズベキスタンが綿花をつくるために灌漑するというので、この水をどんどん引いたのです。それでこんなに無くなってしまった。1989年にはまだこんなにあったのですけど、2008年はもうこれだけですからね。という具合に干上がってしまっている。ひどい20世紀最大の環境破壊とういうのも、この綿花事業が起こしたことなのです。

 

じゃあOCはどうなのかというと、基本的に3年間農薬を使わない、化学肥料を使わない有機栽培綿です。OCでないコットンの最大の問題点は、環境汚染、労働環境悪化、扱う人たちがやはりこの薬品を浴びてしまうという問題ですね。そして地球温暖化、(先ほどの湖は干上がってしまうみたいです)そういう問題を引き起こしています。

どうやってOCを増やすかというのが、だから非常に重要になってくるのです。(これは<写真>世界の、、)実はコットンってほとんど独占的に作られているんですね。この濃いブルーのところ以外、7カ国なんですが、ここが85%を占めています。さらに言うならば、中国・インド・アメリカで6割越えです。ここまでですからほとんどが大量に広大な土地を使って集約的に栽培<されている。>

実は一生懸命みんなでOC!OCと言ってやっているのですが、アフリカはその他のここに入っているのですね。なので、この大量にやっているところを何とかしない限りはOCというのは実は増えないのです。アメリカはOCが増えつつはあるのですが。

そしてOCの推移というのがあります。これは2006年は0.1%でした。 これを1%にするというのはOC関係者の悲願なのです。なんと2009年に<2%?>達成!これは、もう万々歳だったわけです。(やったー)そしたら2010年に0.7%に落ちます。何でだ??という問題がおきるわけです。なぜ生産が減少したのか。実はこれインドがかなりたくさん作っていたのだけれど、インドはわりといい加減にオーガニックという申請をしていたんですね。これがちゃんとまじめにやるようになった。

もう一つが GMO。これが普及していって、オーガニックというのは非GMO、遺伝子組み換えでない種子なので、それが困難になっていった。そして最後に恐ろしいことには、大手SPAがよりハードルの低いBetter Cotton(BC)を選択した。

さあBCとはなんでしょう。(これなんですが まああとBCというのが3つあるのですが、)認証ラベルはBCの場合はないです。付加金というのは作るとオーガニックの農家さんにお金を返すので、その分値段が上がるんですが、それもないです。要するにSPAにしてみれば、とりあえず「Betterなコットンだよ」といってお金をかけずに手に入れることができる。

なおかつ、GMOを容認する。これが何を意味するかというと これ<BCは>今英国の綿花の60%なのですが、1970年というすごい昔からあるのです。「作物に害はなく、雑草だけを退治できる夢の除草剤ができました」と薬品会社が言ったんです。この時点で既に信じられないですけれど これがモンサント社の「ラウンドアップ」という薬品なのですが、これを<使うと>除草しなくていいので、非常にメリットがあって、アメリカのような人件費の高いところが大量に作るにはよかったといって ばんばん導入されています。「ぜんぜん大丈夫!」といったのだけれど、なんと今ではデンマークの研究所から「地質が汚染している」という報告が出ています。

もう一つ恐ろしいことに、ゴキブリの殺虫剤もそうなのですが、生物って一つのものを与え続けると耐性が出てくるんですね。このモンサントのラウンドアップ耐性の雑草が登場してしまうわけです。現在2012年で383種の雑草に耐性があります。なおかつこれがゴジラじゃないんですけれど、耐性を持ったときには恐ろしいものになるんですね。(写真がこれです)これ綿花畑なんです。だいたい綿花畑1mくらいなんですが、これが耐性を持った草です。これが3mくらいになるわけです。ということで 引っこ抜くだけでむちゃむちゃ大変!という状態になってしまったので、化学で何とかしようという魂胆もなかなか難しい。

 

そういう中で 実は大学のときに サフィア・ミニーさんの講演の中で、インドのOCの推進団体の方が日本に来てお話をする機会があったのです。(これ私サフィアさんに頼んで写真を頂いたのです。)これ<写真>から原綿から製品までの人々がどういう風につながっているか<が分かります。>この民族衣装を着てる人たち、この人たちがOCをつくっています。こちらの人たちが紡績をしています。この人はバングラデシュの工場の人で縫製をしています。そしてサフィアさんが日本で売っているのですね。この人はこういうOCを育てる人たちの技術指導をしているのです。

彼が講演をして日本で最後に話したときに、会場がシーンとなった質問がこれです。

OCでFTの製品コスト OCって無農薬で作らないといけないくて大変なので普通のコットンより高く買います。だから例えば今普通にOCをつくると、普通の1000円のTシャツは3000円になります。100%オーガニックにすると高くなるわけです。なので、それを言ってなかなか高いから買えないという人もいるので、「OCでFTの製品コストとそうでないものの製品コストはどちらが高いと思いますか?」という質問をしたのです。

一つには経済的コスト、これは明らかにOCでFTのほうが高くつきます。だけどもうひとつ、社会的・環境的コストを考えたときに 例えばそのたびに農民が死んでいくあるいは病気になっていく。これ原子力と同じですよね 通常稼動している間は問題ないのだけれど 万が一の事故が起きたときとか。あと放射能を取り出したときの使用済み核燃料棒とかっているゴミが出ますよね。使ったカスこれをどうしようも処分できないというような、そういうことを考えると、この社会的・環境コストを考えたときに、それでもOCでFTの商品が高いと言いますか?という質問をしたのですね。これがぐさっときました。要するに 製品のコストというのは そこにある価格という面だけでは測れない。

 

最後にたどり着いたのが、これは国連環境計画とデルト工科大学がDesign for sustinability<本>です。(学生さんで見たい方はこれで調べると英語のレポートが出てまいりますのでぜひ読んでください)その中で目指すべきデザインという(ここは途上国デザインのための取り組みをメインにこのDFSをレポートしているのですが)

4つのPを出しています。

普通われわれマーケティングをしている人間の4つのPというのは“Price”“Place”“Promotion”、お客さんが欲しがる商品は何なのか、大体欲しがる価格帯は何なのか、買いたいと思う場所はどこなのか、そしてどんな広告をうったら売れるのか、というのを考えるのが4つのPで、マーケティングミックスといわれているものなのですが、それに代わる4つのPを出しているわけです。

まず“People”社会的側面を考えること、“Profit”ビジネス的側面を考えること、“Planet”環境的側面を考えること。先程の問いと同じですよね。この3つのバランスを考えて、なおかつ製品はこの中になければならない。“Product”としての側面、商品としても魅力がないといけないが、あくまでその魅力はこの三角形の中に入らなければならない、というのがDSBのレポートです。

この本に「世界を変えるデザイン」というのがあって、今のデザインは世界人口の10%の人のためにつくられている、90%の人のためのデザインは発想が違うと書いてあるんですね。

ここに至って、私は本来、立教大に入ったのは、新しい価値観をもったビジネスモデルをつくって、またそれで商品を提供しようと思ったのですが、この“Product”としての側面、これを作る人間が全部理解してモノをつくっていたら問題は無くなるじゃないか!ならば、作る人を育てよう!というので、教育者として(研究をしながら)いこうということで、今、岐阜市立女子短期大学の生活デザイン科でファッション業界で働きたいという子たちを一生懸命教えております。その中に、私の授業の中で必ずオーガニック、あるいはFT、あとリサイクルという問題も含めてエシカルファッションの授業時間を入れて指導しています。

石の上にも三年なので、ちょうど3年目になった昨年から、卒業研究でFTに合ったそういうものをテーマに取り上げる学生が今出てきています。

会社辞めて、立教に来て、少しは役に立ったかな、と思っているところです。

 

以上

コメントは受け付けていません。

Search
Archive