6月23日 沖縄慰霊の日

沖縄タイムスより

[慰霊の日に]沖縄に戦後はあるのか

沖縄に本当の戦後はあるのだろうか。ひめゆり学徒の手記を読んでそう思った。

 学徒隊の生き残りのひとり、仲本とみさん(84)=旧姓・島袋=が昨年、書きためていた手記を「ひめゆり看護隊の記録」としてまとめ自費出版した。

 砲撃と機銃掃射に追い立てられ逃げ込んだアダンの茂みが最果てだった。葉のすき間から海が見えた。全県民がここに追い詰められたのではと思えるほど多くの気配を感じたという。

 いよいよ自決を覚悟しようとする場面でこんな記述がある。

 隣に潜む日本兵のひそひそ話を聞いた。

 「港川まで行けば友軍だ。友軍は敵を挟み撃ちして南部に追い詰めた。国頭も中頭も友軍がいて住民も安全だ」

 耳を疑った仲本さんが「兵隊さん。いまの話は本当ですか」と聞くと、「ああ、ほんとうだ。元気な者は敵中突破してゲリラ戦でまたご奉公するさ」と返ってきた。

 この期に、この途方もない妄信が沖縄戦のすべてを物語っているように思える。さらには果てしなく続く沖縄のその後の「闘い」を予言していたようでもある。

 本土決戦を遅らせるために捨て石にされた沖縄は、終戦後も日本独立の人質として米国へ差し出された。復帰してもなお基地沖縄の被害は改善されない。

 苦難の歴史はいまも刻まれている。昨年の米軍普天間飛行場をめぐる民主党の公約違反のことだ。政治の混迷が将来への希望さえ奪う。

 ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長が先月行った講話の中で、東日本大震災に触れながら、こんな趣旨の話をしていた。

 震災の被害も甚大だが、日本政府が主導して復旧・復興の取り組みがすぐに始められた。一方すべてが焼き尽くされた沖縄は終戦直後に米軍統治下に放り込まれ、住民は自らの運命を決める権利さえ奪われた。強制収容所から解放された生存者が郷里に帰るとすでに多くの土地が基地に奪われていた。

 あれから66年が過ぎたが、地元の意向を顧みないまま沖縄政策を決めてしまう構図はまったく変わらない。

 2日前、ワシントンで開かれた日米安全保障協議委員会(2プラス2)は普天間移設で、名護市辺野古にV字形滑走路を置くことを正式に合意した。沖縄を無視し続ける態度はあのころと同じではないか。さらに日本の安全のため、という理由も重なる。

 2プラス2は共通戦略目標を4年ぶりに全面改定した。名指しはしていないが中国を強く意識した内容となった。

 仮想敵を念頭に戦略を練る現実主義は正しいのか。沖縄の基地集中は正しいのか。

 残念ながら議論は深まらない。沖縄の犠牲は昔もいまも日本防衛上、「所与」のものとして片付けられる。そして沖縄の抗議は外交・安保を知らない稚拙な訴えと煙たがられる。

 軍事が民意に優先する構図が変わらないまま今年も戦没者慰霊祭が営まれる。

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