未来の時間を破壊した原発~2011年5月29日 中日新聞 視座より
福島第一原子力発電所の事故は、フクシマを世界的に有名な地名にしてしまった。・・・・・・・
これから私たちは原発と動向きあっていったらよいのか。
……..住民避難によって無人になった町。それは未来の時間を失った町である。……
これまで人間たちは、過去と未来というふたつの時間をつなぎながら働き、暮らしてきた。
ところが原発事故は未来の時間を停止させ、この時間のつながりを破壊してしまった。
避難した人たちの「地震、津波だけだったら、どんなに苦しくても復興のために町に帰ることもできたが、原発事故はそれもできない」という言葉は、そのことを表現している。
これまでの私たちの了解では、破壊は創造のためにあった。江戸幕府の破壊が明治の新体制の創造へと向かったように、あるいはそれまでの町の破壊が新しい都市の創造に向かったように、である。・・・・・・・
今回の原発事故では創造なき破壊が発生してしまったのである。未来の時間が停止、破壊されてしまった以上、新しいものが創造されるはずはない。破壊は、創造のためのみ許される。この了解を失ってしまったら、私たちの社会は最低限のモラルさえ失うだろう。過去の時間と未来の時間をつなぎながら働き、暮らす。このことを共通の確認にできない社会は、いずれ破綻していくに違いない。私にはそう思えてならない。
そしてもしそうだとするなら、これからの日本の社会は、過去と未来をつなぐことに責任を持てる社会を、創造なき破壊が二度と発生することのない社会をつくって行かなければならないだろう。
私は原始力発電は終了させるべきだと思っている。危険だからという理由だけでなく、ひとたび事故が起きれば、原発は未来の時間を破壊してしまうからである。
そのことに平気でいられるような恐ろしい社会を、私はつくりたくない。 内山 節(陸橋大学大学院教授 哲学者)