7月15日~31日(月曜日は定休日)12~18時 ネパール『ミティーラアート展』展示・販売
ミティラー画の歴史は、3000年前にまでさかのぼります。この絵はもともと祭礼や結婚の儀式の際に床や壁に描かれ、描き手は女性に限られます。連綿と続く歴史の中で母から娘へと伝承され、近年になって紙に描かれるようになりました。
独特の平面書きの手法に、ネパールの人々の暮らしが伝わる、なにかしらホットする絵画を展示販売します。
場所:フェアトレード・ショップ風”s 正文館店にて(地下鉄高岳駅1番出口から歩5分)
生産者紹介
以下の女性達の物語、じっくりお読みください。
The Janakpur Women’s Development Center: Reaching for change
ジャナクプール女性発展センター(以下、JWDC)の情報誌より
An Introduction to Janakpur Art(ジャナクプル芸術入門) (ページ2)
ネパールの東のテライにある都市、ジャナクプルは伝説的な歴史のあるヒンズー教の巡礼地です。神ラムと女神シータはそこで結婚生活を送っていたと言われていて、毎年ジャナクプルでは、「ラムナワニ」(ラムの誕生日)と「ビバ パンチャミ」(2人の結婚)のお祝いをします。シータを祀るジャナキマンディールという名前のムガール様式の寺院を見に世界中から人々がジャナクプルにやって来ます。ジャナクプルはかつてミティーラ王国の首都であり(その領域は今のインドのビハール州まで広がっていた)、今日ではネパールのミティーラ文化の中心地であったことをしのばせてくれます。
ミティーラ文化は独自の言語と、豊かな文語的伝統、そして何世代にも渡って受け継がれてきた女性の絵画と工芸の伝統があります。女性たちの芸術の例は、ジャナクプルの近くの村々にある泥造りの家々で見ることが出来ます。ジャナクプル女性開発センターを訪れる人々は、隣村のクワの壁に芸術的伝統が生きていることに気付くでしょう。ユニークにデザインされた、女性の訓練と文化のためのセンターは、ジャナクプルの芸術を称える、初の施設です。
絵画の伝統はカースト(階級)により様々です。バラモン(僧職階級)とカヤスタ(バラモンの記録係りの階級)の芸術は宗教的儀式と密接に関わっています。その一例は、「アリパナ」と呼ばれる絵を描くことです。アリパナを描くために女性は、挽いた米と水で「ピタール」と呼ばれるペースト状のものを作ります。そしてピタールに2本の指を浸し、家や中庭の泥の床に優美なレースの様なデザインを描いていきます。それから「シンダール」と呼ばれる赤い粉を点々と散らします。女性たちは家の神様をお参りするため、または婚礼や特別な満月や半月の日などの儀式のために描かれる絵のレパートリーを持っています。
(写真下の解説)
女性がピタール(米粉と水で作ったペースト状のもの)でアリパナと呼ばれる絵を描いています。向こう(タイトル下の絵)はアリパナのデザインの一つです。カルティクの月の間ビシュヌ神をお参りするためのものです。女性はビシュヌとラクシュミが家族に幸運をもたらしてくれることを願って、道具や家庭用品を絵で表すのです。
(ページ3)
バラモン階級の女性たちは、「ウパナヤン」(少年の断髪の儀式)の際に、泥の漆喰で出来た「マラバ」と呼ばれる休憩所を神々の姿で飾ります。婚礼の際にはカヤスタ階級の女性たちは「コーバー」と呼ばれる婚礼の寝室の飾りに特別の注意を払います。コーバーというのは、カップルが結婚して最初の4日間を共に過ごす、花嫁の家にある部屋のことです。その部屋は同じくコーバーと呼ばれるデザイン―はすの葉を意味する丸(女性の象徴)に囲まれた、様式化された竹の中央の茎部分(男性の象徴)からなる華麗なもの―で飾られます。コーバーには、幸せな夫婦の姿を表すオウムや、ビシュヌ神の生まれ変わりや、男性、女性の性を象徴するカメや魚も含まれます。結婚式の夜、新郎新婦は儀式を執り行います。この部屋にはよくオウムと竹の姿が描かれます。新しく来たる次の世代を象徴しているのです。また、雄牛に乗ったシヴァ神も描かれます。風呂に入っている牛飼いの娘のサリーをいたずらして掛けた「カタンバ」の木の上でフルートを吹くクリシュナも婚礼の寝室によく描かれる姿です。
コーバーでは「チャナクラダ」という、泥で出来ていて、石灰で絵の描かれた飾り皿を見つけることが出来るかもしれません。その皿には色々な種類のレンズ豆が乗せられているのですが、それは新郎が結婚式の夜に、家庭のことについてわかるかどうかクイズで試すためです。新婦が女神ガウリをお参りするための粘土の象や、灯りを灯すための飾られた陶器のポットもチャナクラダのそばに置かれているかもしれません。
(写真横の解説)
上:ガネーシャの像が描かれた休憩所のアーチの下のバラモン階級の女性
下:カヤスタ階級の、婚礼の寝室の、竹とオウムのデザイン
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カヤスタとバラモンの伝統の像が、おそらくその特性において最も洗練されていて、宗教的である一方、絵を描くことは全てのカーストの人々によってなされます。ジャナクプルの周辺の村々は「ディーパワリ」の秋のお祭りの時に一番活気があります。ディーパワリの直前に、女性たちは家を泥や牛馬の糞やもみ殻を混ぜたもので覆います。それによって家の壁に鮮明なデザインを施したり、ベランダの木の柱の周りに飾りを作ったりします。富の神様であるラクシュミをお参りする夜の前に女性たちは女神に来てもらえるよう、家の壁に絵を描きます。幸福の象徴である、妊娠した象や、縁起の良いクジャクが描かれます。
家々はたいてい中庭のまわりに建てられます。中庭では家事を担当する女性たちが、米やレンズ豆、チャツネを作るための青いマンゴーを干すなどの仕事をします。婚礼の儀式もしばしば中庭で執り行われます。「マンダップ」と呼ばれる、ティッシュペーパーで飾られた小さな台の上で行われるのです。結婚式の間は全てのカーストの人々が、中庭に面した壁を飾ります。絵の内容は、結婚パーティーの様子や、木製または竹製の伝統的なかごに乗った新郎の姿、または結婚式を司る神様の姿などです。儀式のため、花嫁が夫の家(ドゥイラガマン)へ入る際にも中庭の壁には絵が描かれます。
(写真下の解説)
上:「ディーパワリ」(秋祭り)のためのデザインとマンダル(農民のカースト)の女性
下:中庭に面した壁が結婚式用に飾られている様子
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乾期の間、全てのカーストの女性たちは「コティ」と呼ばれる、泥や牛馬の糞やもみ殻で出来た大きな容器を作ります。これらの容器は、穀物やレンズ豆の保存のために使われます。コティはよく、カメや魚の形に作られます。1つの典型的なコティは四角形で、5つ保管スペースがあるもので、「パンチ(5)コティ」と呼ばれています。家の中の少なくとも1部屋は、ほとんど天井に届くほどの大きなコティでいっぱいとなっています。棚も泥から作られていて、火を使った調理用のストーブとなります。
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ミティーラの女性たちの手はいつも忙しく動いています。自由時間には「シキ」草からかごを作ります。その形は、象や葉、魚、そして人などです。彼女たちはまた、大胆な幾何学模様のデザインの、強い葦のかごも作ります。市場で買ったものを運んだり、家事の道具などを入れたりするのに使われます。時にはボウルや大きなトレーを作ります。これは、「コジャグラ」という、収穫の月の間に行われる、花嫁の家族に贈り物をする、バラモンの儀式などで使われます。「ダサイン」(女神デューガ参り)の間には、小さな泥で出来た神マハデヴの姿を作ったり、牛馬の糞で神様を作ったりして、それを拝みます。晩秋の10日間は、女性たちは兄弟を崇拝する、シヤマ・チャケバと呼ばれるゲームをします。泥で出来た像を入れたかごを持って、歌ったりゲームをしたりしている女の子や女性たちのグループがあちこちで見られます。各家庭は似たような像のセットを作るのですが、これは、ある女の子が鳥になり、彼女の兄(弟)の助けで再び人間の形に戻ることが出来たという伝説を伝えるためです。最後の晩にはかごは花で飾られ、全ての像は池に投げ入れられます。
「チャイト」の秋祭りの間には、女性たちは美しい捧げ物の皿と共に太陽の神を礼拝します。ジャナクプルや近隣の村々では、池のまわりに捧げ物が並びます。フルーツや花々、お菓子のアレンジは、その文化の芸術性を実証しています。夕暮れ時、そして夜明けには、女性たちは池の中に佇んで、太陽に捧げ物をします。
(写真横の解説)
シヤマ・チャケバ(兄弟を崇拝する行事)のための像
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女性たちの芸術は、はかないものです。雨は泥や描かれたデザインを壊し、また春には「ジュルジタル」と呼ばれる新年のお祭りの際は、絵は泥で覆われてしまいます。
カヤスタ階級が、結婚の際に贈り物を包む紙に、絵を描く伝統がある一方、ほとんどのミティーラの女性たちにとって、紙に絵を描くことは全く新しいことです。紙に絵を描く芸術は他からやって来たものです。そして、それはマドゥバニ芸術と呼ばれています。インドのマドゥバニにおけるミティーラ文化は特に強く、1960年代の干ばつ救済プロジェクトの時に、女性たちが絵を描くことを推奨され、絵を描く伝統が活性化されたからです。
インドでは、女性たちは華麗な、美しい線の絵を白い紙に描く技術を発達させています。JWDC(ジャナクプル女性開発センター)の設立からネパールのミティーラ芸術は違う方向に進展しています。マドゥバニ芸術の特徴と同じように、人の姿は遠近感がなく、たいてい横顔と大きな目で描かれます。壁にも描かれる葉やはすの花やオウムや魚などの自然の像が全てのタイプの情景の空いたスペースを満たします。魚やサリーの色や模様には細心の注意が払われます。ドアや窓の周り、または壁の下の方で見られるデザインは、ページを区切るデザインとなっています。大胆でしばしばユーモラスなデザインは、家の泥の壁に描かれていましたが、今では粗い、ハンドメイドのネパールの紙に同じ様に描かれています。これらの新鮮で、いきいきとしたネパールの紙の上の情景は、今日ではジャナクプル芸術として知られています。
ジャナクプル女性開発センターは、女性たちがその芸術的な技能を生きたものとして保つことを促すという希望と共に設立されました。センターを訪れ、アーティスト達に会い、彼女たちの芸術の伝統について学ぶ方々を歓迎します。センターは日曜日から金曜日、10時から5時まで開いています。
(写真下の解説)
レマニ・デビ・マンダルさんの絵
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ジャナクプル女性開発センターは、伝統的な村の家々の様式を取り入れ、特に、女性たちが地方の様式に貢献していることを称えています。女性たちは近くの村々から絵や工芸品を作ったり、全てのタイプの技能訓練を受けたりするためにセンターにやって来ます。センターはジャナクプルの周辺のクワ村のそばの静かなマンゴー林の中に位置しています。センターはオーストラリア、ドイツ、デンマーク、そして日本(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンと共に)政府の寄付によって建てられました。
The Janakpur Women’s Development Center: Reaching for change
ジャナクプール女性発展センター(以下、JWDC):変化にむけて
P.17
伝統的なミティーラの女性は家庭や村を出ることをめったにしません。子どもの頃から家庭の働き手となるよう想定して育てられ、一度結婚すると人生の大半の時間をベールに覆われて過ごします。知らない人や男性の親戚の前では顔を隠すのです。
Manjula(マンジュラ)さんも5年前はそのような姿でした。初めて取材したときは、ベールに覆われていただけでなく、家に引きこもり、窓を通してほとんど聞き取れないような声で話していました。
しかし今、彼女はJWDCの他の女性たちと同じように、一人でカトマンズへ行き、壁画を描き、絵画の注文をとって配達します。政府関係者と会いJWDCの将来について話すこともします。過去には数回テレビに出演したこともあり、ネパールの首相を含めた各国要人、政府関係者の前でスピーチをしたこともあるのです。
<写真:JWDCに入る前のManjula(彼女の家にて)>
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現在のJWDCが始まったきっかけ、それはジャナクプール周辺の村々の女性に伝統的壁画のデザインを描くための「紙」が与えられたことでした。最初の作品をつくるときは大変な苦労をしました。なぜなら、ねずみが紙の端をかじり、子どもたちがミルクをこぼし、女性たちもイメージを紙の大きさに合うように描くことができなかったからです。それに、努力が実を結ぶという確信もありませんでした。
転機はネパールのMachan Wildlife Resort(Royal Chitwan Jungle)の依頼で訪れました。客室の泥壁に絵を描いてほしいというのです。しかし女性たちは気が乗りませんでした。なぜなら、彼女たちのほとんどが生まれた土地から夫の村へ行く以外、どこにも行ったことがなかったのです。まずは夫の許可を得て、その上で男性の付き添いを頼まなければならず、その上恥知らずだと責めたてる村人たちの非難の声に耐えねばなりませんでした。
しかし、一度見知らぬ土地へ降り立つと、他の村の女性たちとの出会い、共に描くことの歓びを感じ、家を離れることへの恐怖など全く感じなくなりました。Machan Wildlife Resortでの仕事を終え、家に帰るころになると、彼女たちはこれからも共に活動し、この伝統技術を市場にもっていったらどうかと考えるようになっていました。
P.19
1990年の春、ネパールの民主化運動Jana Andlan(ジャナ・アンドラン)の後、ジャナクプールのアーティストたちによる初めての展示会が催されました。場所はカトマンズのAmerican Library。当時のアメリカ大使、Julia Chang Bloch(ジュリア・チャン・ブロック)とジャナクプールのネパール議会のリーダーであるマヘンドラ・ナラヤン・ニディ(Mahendra Narayan Nidhi)により開設されました。展示会の反響はたいへん大きく、国の誇りについての新しい展示や、民主化運動に伴ったネパール文化への興味も相まって大成功を収めました。
1991年、Developemt of Womenへの国連基金の助成と、Save the Children-Japan(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン)の援助によって、女性たちはより広範囲にわたる技術訓練を受けられるようになりました。絵画の市場は限られているため、技術と伝統的デザインを印刷や陶磁器、刺繍、織りといった他のメディアへ用いる方法を学ぶ必要がありました。訓練対象は貧しく、教育を受けていない、そして外の世界へ出られるというわずかな機会を得られる女性。
JWDCは1992年にNGOになりました。それ以来、ここでの訓練は女性たちが自力でセンターを運営していく能力を育てることに集中されます。ミティーラのアートは女性たちのもの。JWDCは女性たちこそが絵の販売への権限を持つべきであり、利益はつくった人たちによって協力して運用されるべきであると信じていました(JWDCの技術を真似た企業や組織が現われたこともありましたが、そのどれも生産者自身によって運営されたところはありませんでした)。
女性たちによるNGOの運営を促進するため、識字、記録、原価計算、品質管理、マーケティング、経営、リーダーシップ、チーム作り、ジェンダー、評価といった訓練が行われました。社会変革を成すために伝統を用いたいと考える他の団体にとって、JWDCが女性の地位向上を目指すプログラムのモデルとなることを願っています。
<写真:伝統的イメージを新しいメディアと合体させるJWDCのアーティストたち>
P.20
この絵は、花嫁が夫の家へ嫁ぐとき、自分の母親と抱き合う場面を描いたものです。ミティーラの歌が、夫の家へ嫁ぐ花嫁のお話を教えてくれます。
Sita Devi Mandal(シタ・デヴィ・マンダル)さんの夫は二人目の妻を迎えました。シタさんは夫と同じ家で暮らしているのに食事と衣服代を自分で支払わなくてはなりません。彼女は自分で陶器を作り稼ぐことで、自立できるのです。JWDCは伝統的な顔のデザインの付いたこのクッションカバー(写真)のような商品のつくり方を学ぶ場。彼女だけでなく他の女性たちもJWDCがあるからこそ働きに行く「自由」を楽しむことができるのです。
<歌:あ~娘よ、夫の家に着いたなら 父の威信を守りなさい 朝早く起き、家を掃除しなさい そして、母を起こすため規則に従い母の足元へメッセージを届けなさい 身をかがめて父の足に触れなさい 父の威信を守りなさい 夫の家に行くならば ゆっくり話しなさい 家族のメンバーに仕えなさい 決してまっすぐ歩いてはならない 父の威信を守りなさい>
P.21
訓練で重視されているのが、女性の家庭や社会における役目への気づくことです。これには、男女それぞれの仕事量や、花嫁持参金のシステム、息子がなぜ娘より優遇されるのか、花嫁の夫の家庭での生活といったディスカッションが含まれています。リーダーシップ訓練で女性たちは寛容さ、忍耐、自信といった劇を演じます。「あなたの夢は?」「どんなときに怒ったり幸せを感じる?」といった個別の質問をします。次のような伝統的な歌やことわざを分析することもします。
<歌・ことわざ:
Bhaadoの月に夫はうろうろさまよっていた 親戚を訪ねおいしいものを食べていた 今はAgahanの月 夫は知りたい 穀物の収穫量を>
<写真:荷馬車に乗って、働きに行く女性たち(Sarawati Devi Sahaさん)>
メンバーたちはよくJWDCが自分たちの生活にどのような違いをもたらしたかを話してくれます。未亡人や別居している女性は特に、家族からの尊敬だけでなく自尊心も取り戻すことができました。Manjula(マンジュラ)さんは村で取り戻した自信についてこのように語ります―「今までになかったことが起きました。最近夫の前で私の兄と話したのです!前は口を開くことすらできなかったのに。それから、夫と兄と三人で一緒に食事をしたの。今まで男性と一緒に食事をすることなんてあり得ませんでした。それから今日は、裕福な女性の家の中庭へ行ったのだけれど、全然怖くなかったです」
女性たちは今や夫や兄の世界を知っています。携帯電話を使い、人力車やバスの交渉をし、カトマンズの街中を巡り在庫注文したところを探し、市場競争をチェックします。年長の画家で、最近読み書きを学んだばかりのAnuragi(アヌラギ)さんは、女性たちが得た気付きを要約してこう話します―「前はじゃがいもでできた眼鏡をかけているみたいでした。でも今はちがう。澄んで見えます」
JWDCは約40名のメンバーの中から、毎年運営役員を選出します。それぞれの技術部門はマネージャーやアシスタントマネージャーが指導し、この組織が会計や倉庫管理、GM、といった管理職を支えます。
P.22
JWDCの発展努力は絵にどのような影響を与えたのでしょうか― 実際、JWDCは絵画を公共の場に持っていくことで伝統を保持する助けとなりました。現代のヒンドゥー教の映画ポスターや、実物のような姿をした神の絵が付いたインドのカレンダーが好まれ、壁画や泥の彫刻といった伝統は、失われつつあります。
ある年配の女性はこのような話をしていました―「私の孫は映画のイメージの方に興味を持っています。私の絵を見て尋ねるのです。「どうしてこの三角が鼻なの?」って…」
JWDCは女性たちが伝統技術を学び続け、古来のイメージを生かし続ける励みとなっています。女性たちは時に、好きなヒンドゥーの神々のお話から宗教画を描くこともあります。例えば、牛飼い女たちの水浴中に盗んだサリーを纏うクリシュナ神や、森の中にいるラーマとシータ(古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子とその妻シータ)。または、ディーパバリ(Deepawali festival,ヒンドゥー教徒のお正月)の間の女神ラクシュミーへの崇拝のイメージ、例えば身ごもった象などを描きます。現在、彼女は自分の生活の一場面を描こうとしています。それは、特定の神への祈りという細かなシーン、あるいは学校へ行く子どもの姿、バスで旅行する人、赤ん坊の誕生、読み書きの授業であるかも知れません。女性たちの描く生活場面は、ネパールの男女のための発展プロセスへの理解が深まっていることを表すばかりでなく、女性の視野を広げていることも映し出します。
<写真:上 赤ん坊の誕生(Anuragi Devi Jhaさん)、左 シヴァ心のリンガム(シヴァ神の象徴として崇拝される男性器をかたどった長円型の石)(Suhagbati Devi Sahaさん)>
P.23
文化が静止することはありません。JWDCの女性たちは多分、いや確実に彼女たちの祖母がしたように描いてはいないでしょう。なおかつ、彼女たちが描くのは今日経験しているような文化の描写です。例えば、ラジオの付いた伝統的な籠に乗り旅する花婿の描写、泥壁の小屋に電気が通りビデオが映ったところ、妊婦が助産師と医師の助けを求めている様子とさまざまです。
今日、伝統的な泥壁の家よりもコンクリートとレンガの家が好まれていますが、JWDCと建築家であるロバート・ポーウェル(Robert Powell)氏は現地の建築スタイル、特に女性たちのローカルスタイルへの貢献を称えたいと願っていました。そのため、JWDCのセンターの建物はメンバーとKuwa村近くに暮らす女性たちとによって生き生きとした泥壁のデザインとなっています。粘土造りの屋根と木製の円柱がベランダにあり、センターは村の家々と同じ造りなのです。JWDCで見られるのは絵画や手工芸品だけではありません。「動き」が見られるのです。女性たちの知識、自由、繁栄への動き。そして、友と共に描くという真の喜びへ動き。
<写真:近隣のKuwa村にあるものと同じ、トラのデザインをセンターの壁に施す女性たち>